御幸通り商店街の歴史
「みゆき通り」は「御幸通」でした。その由来は、明治時代までさかのぼります。
1903年、播磨平野で軍事演習が行われました。城北練兵場(現・姫路競馬場)でも閲兵式が行われることになり、明治天皇の行幸に合わせて、姫路駅から城北練兵場へ至る道路が整備されました。5間(幅9m)という当時の市内では最も幅の広い道路で、「行幸」に因んで「御幸通」と命名されたのです。
土産物屋などの商店、銀行、証券会社などが立ち並び、活気にあふれていましたが、戦争がはじまり、空襲によって姫路は姫路城を残し、ガレキの街となってしまいました。そんな中、御幸通の道路は耐火用の赤れんが張りだったことで耐え残りました。
1945年(昭和20年)、終戦。ガレキを運び出しながら、ポツポツとバラックの店が立ちはじめ、戦後の第一歩を踏み出します。1948年(昭和23年)、姫路市内の13の商店街で「姫路商店街連盟」を結成し、翌49年4月に開かれた「姫路復興祭」には1週間で約20万人の人出を記録。戦後の御幸通はまっすぐ歩けないほど人通りが多く、店先に並べれば何でも売れる、そんな活気に満ちていました。この賑わいと人々の熱い想いが、復興に拍車をかけていったのです。
御幸通は戦前に続き、昭和20年代もバス路線でした。自動車やバスも通る姫路市街地の骨格的道路としていつも混雑していました。1955年(昭和30年)に大手前通が完成してバス路線はそちらに移りましたが、御幸通の人通りは以前よりも増えました。落ち着いて買い物ができるようになり、商業軸として発展していきます。高度経済成長期を迎え、日曜日の御幸通は、西播一円からの人々であふれ、肩と肩があたるほどの大賑わいでした。1973年(昭和48年)4月29日の通行量は約8万人だった、との記録もあります。
1955年頃から部分的にアーケードが設置され、1975~1978年(昭和50~53年)に現在のような全長650mのアーケード商店街へと改装し、姫路を代表する商店街として、顧客第一に快適に買い物ができる環境を整えました。
2020年(令和2年)にはアーケードの天井を新調するなど、みゆき通り商店街は今もなお進化し続けています。ホッとする懐かしさと好奇心を刺激する新しさを同時に味わえる、雨の日も安心のアーケード商店街…そんなみゆき通り商店街でゆっくり、ほっこりお買い物をお楽しみください。